やけくそ万防日記7 ―映画「万引き家族」から考える。

映画「万引き家族」や、是枝監督の著書をご覧になった方は、家族の悲惨な生活やその悲しい末路を見て、何とも言えないお気持ちになられたでしょう。決して万引きを許容するような映画ではありませんが、こんな状態なら子どもが万引きするのもしようがないかと感じた方もおられると思います。
映画の話だけではありません。昨年6月16日に、中学校1年生の子どもに、ミニカーを41個(4万円相当)万引させた母親が滋賀で警察に逮捕されました。新聞報道を見るだけで、その真相は私たちにもわかりません。でも、これがはじめてではないのかもしれません。母親は、どう子どもに言い含めたのでしょう。盗品をどう処分するつもりだったのでしょう。そんな事例は時々報道されていますから、そんなに珍しいことではないのかもしれません。
貧困なのだから、店がつぶれない限り、これぐらい勘弁してやれよという気持ちとそうは言っても他人の物を盗っちゃいけないよなという気持ちが交錯した方もおられるでしょう。でも、それは、一部の貧困な国で、貧しい若者が豊かな者から多少の物を強奪することに理解を示すことに通じるように感じます。貧困な人が犯罪を起こすことに少しは同情できるというのは、貧困な中でも他人に頼らず、他人に迷惑をかけることを嫌い、人間としての矜持を持っている人が大半なのに、失礼な話だと思うのです。不当な利益を上げている大商人を戒め、弱きを助ける大泥棒に勧善懲悪の痛快さを感じるのは私だけではないと思いますが、それとこれとは話が違うと思います。
また、家族のためならやむをえないではないか、というのもどうでしょう。まして、自分でやらずに子どもに万引きさせて、盗んだ物を自分や家族のために使うことはもっと罪が重いと思うのです。子どもは親の言うことに逆らうことはたいていできません。逆らえば虐待されるというのであればなおさらです。子どもの心に一生深い傷を残すでしょう。子どもの人生を奪うことは親にもできないはずです。
でも、万引家族の何が私たちを何とも割り切れない思いにさせるのでしょう。万引きが強盗殺人なら犯人には同情は寄せられないでしょう。やはり、万引きは犯罪の中でも取り返しのつかないような重大なものでないことが大きな要因であるようです。
貧困にある者が万引きをすることがどれぐらい悪いかを突き詰めて考えても惑いは深まるばかりでしょう。では、万引犯人の人間としてのあり方という視点から考えてみたらどうでしょう。今万引きをして糊口を凌いでも、彼の将来は開けてくるでしょうか。その場しのぎの生活を続けていては本当に生活する道には踏み出せないでしょう。中には、もっと儲かる悪質な犯罪に進んでしまう者も出てくるでしょう。世の中を甘く見たことで、能力を伸ばせず、努力をしない者も出るでしょう。万引犯は皆、どこかで心のバランスを崩し、すっきりした、ハッピーな思いを持てず、ねじれた思いを持ち続けて生きていくでしょう。いずれ、人間としての自分の価値、尊厳というのでしょうか、を持ちきれないでしょう。そう考えると彼に万引きを思いとどまらせたい、他に生きる道を探そうと呼びかけたくなると思うのです。
社会全体としても同じことが言えると思います。万引きを貧困ゆえにやむを得ないとして許していては、社会を覆う貧困を克服することにはつながらないでしょう。問題をあいまいなままにしておくのも同じことだと思います。
このように万引問題をどう考えるかは、万引犯やその家族にとどまらず、社会全体にとっても大きな課題だと思うのです。
やっていけないことは小さなことでもやらない、やらせないという考え方は、個人が生きるうえで、また、社会全体にとっても、守らなければならない絶対的な一線だと思うのですが、私は単なる堅物でしょうか。

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